http://wastetwice.com

wastetwice.exblog.jp
ブログトップ
2012年 06月 01日

引っ越し

ログはこちらに移動です。
[PR]

# by waste_twice | 2012-06-01 17:30
2012年 05月 22日

展示会

展示会でバタバタとしており更新が、またもや遅れました。すいません。

前回は初めての出勤までだったようです。

で、続き。展示会ということで展示会ネタ。。

基本的に僕は学生時代に勉強というものを視野に入れてなかった(笑)ので、
文章を書くということに、まったくもって長けていません。
(どうでもいいことですが、自分で書いていて(笑)といれるのは、そうとう恥ずかしい。)

しかも、僕がライター件編集の仕事を初めたときは、まだ手書きで原稿を書くというのが
普通であって漢字もロクに書けない僕はいつも辞書をカバンに入れていました。
文字を書く仕事をしているにも関わらず漢字が書けないというのは、相当に恥ずかしいので、
外に出るときは小さいハンドサイズのものを持っていた。

今や化石的な機会となってしまったワープロというものはありましたが、新人は手書きが基本。
これには困った。作文的な作業なんて小中学校以来、しかも仕事として書くのだから
緊張というかやっていけるのか不安の方が大きかった。

といっても、アシスタントになっていきなり文章を書くこともなく最初の二ヶ月くらいは
雑務ばかりでした。デッツさんの車をちょいと運転したり。
実家の車は軽トラに2トントラック。ぶつけても気にしないけどデッツさんの車はベンツ!!
緊張しますがな。乗用車運転するの久しぶりだし。トラックは基本的にフロントがないから
それに慣れていたから、人の車だしベンツだし乗用車だし。

その頃、デッツさんはいくつか連載をやっていてクールトランスでヒロシさんとやっていた
「スーパーナチュラルマガジン」、SOSでNIGOさんとやっていた「モンキー・ドゥ・モンキー・ドゥ」。ホットドックでやっていた「ストリートアイ」。

この連載で雑誌作りのおおまかな流れを勉強していました。
まずは企画、そして撮影のスケジュール合わせの段取り、実際の撮影、原稿作成、写真のセレクト、
誌面のレイアウト、印刷所に入校、色了のチェック、そして校了。。

まぁ、だいたいこんな流れです。企画から考えると日数で三週間くらいだったきがする。
もちろん、その間にいくつも仕事が重なっています。

それよりも、ヒロシさんやNIGOさんと話す機会もあって緊張していましたが。
そもそもデッツさんと話すにも緊張していた。今でも緊張しますが、、、、。

で、僕がアシスタントになってまだ二ヶ月か三ヶ月くらいの時にNIGOさんに
「APEの展示会を今度やるから川鍋君来てね」って言われたのは、今でもよく覚えています。
で、デッツさんがちょうど展示会場にいるときに、なんか物を持ってきてくれって言われ届けに
いったのですが、その時に展示会を見させてもらいました。

そもそも展示会自体が初めてであって、よく分からん。で、紙を渡されて「なにか良い物があったら品番をそこに記入しといて」って言われました。

事前に商品をオーダーしとくシステムだというのを、その時に理解しました。
だけど、アシスタントの給料ではまず買えないでしょ!
コレクションのラインナップがすべて揃っているし、商品の数は多いし、欲しいものは
たくさんあるし、困った。

しかし誘っていただいたし欲しいものもあったし、ニットとショーツの品番を書いたのを
覚えています。商品の値段も書いてあるから、高いけどギリギリこれなら払えるかなと思い購入を決意。

たしか、その時がAPEが展示会という形式を取ったのが初めてだったらしいです。
今まで原宿のブランドの人達はひとつの商品ができたら写真なり絵型を送ってオーダーを
取っていたみたいです。

それを展示会という形式でやったのがAPEみたいです。今思うと凄いなと思います。

で、もうひとつ感動したのが、もちろん商品が事務所に届くわけですよ。
手元に商品があるのですがお金はどう払うの??と??マーク。
で、NIGOさんに会った時に聞いたら「お金は大丈夫だから、着てね!」って言われました。
今でもモヘアのニットは部屋のタンスにあるわけで、たまに着る訳で、、、、、、。
約14年くらい前の商品ですね。

そもそも、アシスタントになって二ヶ月くらいの若造に「着てね!」と言われたことに感動。
というかビックリ。なんか恐縮したのを覚えています。

当時のAPEは凄く売れていてお店には商品はほとんどなく、とにかく人気のブランドでした。
日本にストリートの洋服をブランド化したものは、ほとんどなく、その先駆け的存在。
アメカジの定番物が多く、定番物好きの僕としては欲しいものも多くあったブランドでした。

GOOD ENOUGHとAPE、UNDER COVEREが当時の原宿では人気のブランドでした。
今ではワールドワイドなブランドにまでなっているのも凄いです。

で、続く
[PR]

# by waste_twice | 2012-05-22 15:21
2012年 04月 12日

文化社、asayan

初めての出勤が文化社に集合だった気がする。
当時あったファッション誌asayanって雑誌の出版社です。

そこに行ったときに、たしかasayanが次にやる企画“キャノンボール”って
アメリカをいろいろなお店の人だったりが渡米して、いろいろなものを
買ってくるって企画。今、考えても面白い企画だなって思います。

asyanって雑誌はテレビ東京でテリー伊藤さんがやっていたファッション系の番組から
きています。たしか一号目の表紙は小泉今日子さんだった気がする。

で、話しは戻って、その企画会議に行った日に藤原ヒロシさんとか、ヒカルさんとか
いわゆる原宿の人達が居てビックリしました。
雑誌でしか見ていなかった人達が居るってことで緊張したしビックリした。
特に昔から気になっていた藤原ヒロシさんが居たことにビックリしました。

まだ、アシスタントになる前にBRUTASって雑誌で
原宿の特集をやっていたのを今でも覚えています。
いわゆる裏原宿の特集。原宿村って例えていた気がする。
NOWHEREを中心にいろいろなお店が紹介されていました。
お店の内装をやっているM&Mだったり、ヨッピーさんのお店だったり
AFFAのお店だったり藤原ヒロシさんやJONIOさんやNIGOさんなんかも
出ていました。ちょうど裏原宿が本当にブレイクしそうな時だった気がする。

つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-04-12 08:58
2012年 04月 12日

おひさしぶりです。。

また、一ヶ月放置してしまいました。

で、つづき

結局、浅草の会社は断ってしまったんです。
まだ、デッツ松田さんのアシスタントになれるか分からないのに
アシスタントというものに惹かれていました。

当時の原宿の人たちの僕の印象としては、洋服はもちろんなのですが
そこに付随しているカルチャー的なものにも惹かれていました。
いろいろなジャンルの人が集まり原宿で遊んでいる。

例えばスケーター、バイカー、俳優、DJ、ミュージシャン、芸能人
とかいろいろな人達のコミューンって感じがしていました。
洋服だけではない、って感じがとても面白く魅力的でした。

それと、当時は日本でいわゆるストリートものをブランドとして展開している人達って
原宿にしかいなかった気がする。その昔にアイビーが流行ったときの感覚に近かったのかも
しれません。僕はアイビーに関してはリアルタイムで経験していないので
まったく分かりませんが、きっと近かったんだろうなと、思います。

で、いよいよ面接の時が来ました。場所は西麻布。。
呼ばれた時間の一時間くらい前に着いて近所をうろうろしていたのを
今でも覚えています。そこにうろうろしていた自分の目の前を偶然に
デッツさんが通ったことも。

そして履歴書と一緒に送らなければならなかった課題が自分の好きな
お店の説明文を250w(文字数)で書いてお店までのマップを
駅を入れて10sm×10smの中に書くってことだったと思う。
あと条件として要普通免許、都内の実家から通える人。

都内に実家があって本当にラッキーでした。

で、課題に関しては本当は1店でよいところを2店書いて、さらにお店の外観を
写真に撮って送りました。
そんな人は居なかったらしく、褒められたのを覚えています。
あと好きなファッション誌だったり、ブランドを聞かれたのかな。
とにかく一問一答に緊張していましたね。
雑誌はファッション系の洋書(IDとかDAZED、あとインテリア系のエルデコとか)だったり、
日本のファッション誌をよく読んでいたので、いろいろと答えた気がします。

そんなこんなで、電話が実家にかかってきて、何月何日から来てくださいと電話があった
気がします。そう、晴れてデッツ松田さんのアシスタントになったのです。

ここが自分の中での大きなターニングポイントだった気がする。

しかしクリエイティブアシスタントって何?? ってずっと思っていました。
なんとなく雑誌系の仕事なんだろうな、って思っていましたが、、、、、。

それと、良いなと考えていたことは、いろいろなブランドの洋服を見れること。
お金を払って勉強するより、給料が安くてもお金を貰って勉強できるんだから最高だな!
って考えていました。
ただ、雑誌はよく読むけど、文章なんて書いたことなかったし、とにかく苦手なので
大丈夫かな?? なんとかなるのかな? って考えていました。

余談ですが面接に行った事務所がエンパイアスネークビルディングって会社で
“いとうせいこう”さんがいる事務所だったって後で気づきました。
せいこうさんの小説で“ワールズエンドガーデン”ってタイトルのものがあって
その小説はとにかく好きだったので、とにかく感動しました。
今でこそテレビの人ですが“いとうせいこう”さんって、
昔藤原ヒロシさんと一緒にラッパーとしても活躍していたり、その前は講談社の有名な
編集者でした。いわゆるサブカルチャーの人。

つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-04-12 08:36
2012年 02月 29日

教務アシスタント

バンタンでバイトを二年間くらいしていたのかな? その頃になると
そろそろ、どこかに勤めないとな〜〜って考えていました。
調度、学生達が卒展をした後だから学生達と同じタイミングですね。
そういえば、学校の廊下に貼られているんですよ!
○○さん、どこどこ“内定決定!”って。

それを見ては“へ〜、凄いな!”って思っていました。
やはり、真面目な生徒から就職先が決まっていた気がする。
余談ですが、バンタンの教務アシスタント時代に“NOWHERE”に
履歴書を持っていって面談なく落選!!
というか、郵便は受け付けていなかったので持っていった時に
雰囲気だったり、スタイルをチェックされているわけです。
なので、書類を持っていく時には、とにかく緊張しました。

で、あてもなく“どうしようかな〜”って考えていました。
レコード屋でバイトもいいな。どこかのカフェで働こうかな。
本屋もいいかな。あ!HMVでバイト募集している、どうしようかな。
って洋服とは関係ない分野の仕事も視野に入っていました。
そんなにツテもないし、どうしようかな?? って。

そんな時に学校の先生が就職先を紹介してくれたんですよ。
たしか、浅草の小物を作る会社。いわゆるブランドさんに頼まれたものを
作る会社です。そこでスキルを学んで、いろいろと幅を広げるのも
ありかなと思い。就職活動用にマップ(流行りのスタイルをボードに
まとめたもの)と、デザイン画を持っていっての面接!

で、結果はというと“受かったのです!!”

と、同時に雑誌で“デッツ松田、クリエイティブアシスタント募集。都内在中、要普通免許
自分の好きなお店の紹介文と、そのお店の地図を作成したもの”の記事を発見!
え!そもそもクリエイティブアシスタントって何?? って疑問に思いながらも
デッツさんって原宿の人だよな! 面白そうだな、そのアシスタント。

で、これに履歴書を送ったのです。書類審査は通ったのか面接の日程が決まりました。

ただ、ひとつ問題が発生!
浅草の会社に受かったのに断るのか?? せっかく先生が口を聞いてくれて紹介して
くれた会社なのに!!
まだ、アシスタントの仕事が決まっているわけでもないのに、その会社に勤めるのか!
勤めないのか!決めないといけなくなりました。

で、つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-29 22:51
2012年 02月 24日

好きなスタイル

若いときにスケーター、パンクといわゆる文化とファッションが
結びついたものが好きになるのですが、そういった時のスタイルは
一目見て、「あ! スケーターの人ですね」、「あ!パンクの人ですね」って
分かる感じだったと思う。

専門学校に通っているときに少し変わってきた。
ボンテージパンツにカシミアのニットとか綺麗なシャツとかを合わせていました。
スケートブランドのTシャツなのにウールのスラックスにブーツとか、
ギャルソンのシャツにボロボロの軍パンとか、ちょっとした古着とか。
いわゆるハズしのコーディネイトをしていました。

今もそういったスタイルは好きです。もちろんスーツでバシっと決めるのも好きですが
なんか「ハズかしい」って感じがしてた。
最近は年をとったからかバシっと綺麗なスタイルをするのも嫌いではないですが、
根本はどこかハズしたい気分です。

全身を古着でまとめるとかもあまり好きでない。
基本は何かに定番ものだったり、おじさんアイテムを何かと合わせるといった感じですかね。
若いときから、なぜかオジさん的アイテムが好きだった。
カシミアのニットとかもオジさん相手のいわゆるテーラーとか扱っているお店で
セールになっているカシミアニットを買ったりしていた。一万ちょい位で売っていたりするんです。

それと、日本にいる外人がチェスターコートにボロボロのコーデュロイとかを合わせているのを
見かけるたびに、俺のツボって思ってしまう。

あと、IVYが好きになったのもこの頃。
イギリス的着こなしをアメリカの学生がやると、なんか気負いがなくてカッコいいって
思っていました。
キッカケは地元の古本屋で購入した「TAKE IVY」。写真集でなくMENS CLUBのIVY特集を
三冊でやっていたやつ。今も持っている本です。
わかりやすいところで、ウッディ・アレンなんですかね。映画アニー・ホールですね。

とにかくコートは好きだったけど、若いから似合わなかったですけど。
いわゆる分相応ってやつですね。
今、ようやく似合うようになってきた気がする。
品の良いおば様が着ているカシミアのコートとかも大好きです。
あの後ろ姿のドレープ感は、たまりません。
いつも、後ろから思わず話しかけたくなります。「良いコートですね!」って。
まぁ、もちろん話しかけませんが、、、、、。

気負いもなく、上手くミックスされたスタイルが基本的に今も昔もツボということですね。
つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-24 17:10
2012年 02月 23日

専門学校part2

専門学校&バンタンバイト時代は
夜な夜な遊ぶ日々が続きます。
スクーターを持っていたこともあり、実家から渋谷まで30分かからないくらい。
とにかく飛ばしていたので早かった。深夜ということもあり、道も空いているし
スクーターのくせに平気で70kmは出るし、全開で飛ばしていました。

-------------------------------------------------------------------------------------
余談
そういえば、話しはかなり戻るが高校時代にバイクで事故ったことがある。
大きな幹線道路で通学中に転んだ、たぶん80kmくらい出ていたと思う。
NSRというHONDAのレーサーレプリカ、50ccのくせに100km近く出るバイク。
今、思うとふざけたというか、ノーマル50ccの中では世界最速のバイク
だと思う。

で、踏切で飛んだ。というのは踏切って少しジャンプ台みたいになっているところが
あるんですよ。そこを調子に乗ってシャンプ、着地に失敗。転倒!
転びながら反対車線に飛び出す。目の前は対向車のタイヤ。
いわゆるスローモーションで時間が流れる。車のタイヤは上手くよけてくれました。
今でも鮮明に覚えている一瞬。

もちろん、警察が来ます。しかしその日は期末試験だったのです。
ようするに遅刻しそうだったので飛ばしていた。朝の通勤ラッシュだったので
車も多く走っていました、あのまま頭を車に踏まれていたらと思うと今も
ゾっとします。たぶん首が折れて即死かなと思う。
神様ありがとう!

しかし、警察の事情聴取も期末試験だからという理由で後にしてもらい、
事故った体で学校まで走っていきました、もちろんバイクではなく
自身で走っていきました。お金があればタクシーに乗ったと思うけど、2kmくらいを
走ったのです。たぶんアドレナリンが出ていたのでしょう、普通に走っていましたね。
留年という考えが頭をよぎっていたので、頑張ったんでしょう。
そして、遅刻しながらも試験には間に合い、試験中に全身が痛くなりました。
とにかく、若いって凄い! そして事故にはとにかく注意。
バイクは保険屋の話しだと車五台くらいに当たりながら吹っ飛んでいたらしい。
-------------------------------------------------------------------------------------

で、夜な夜な街に繰り出してはクラブに遊びに行く日々。
下北のZOOに行っては「あ!小沢健二だ!」っていう感じで興奮。
「渋谷ZESTの仲君だ! カジ君だ!」ってただのミーハー野郎。
あと、渋谷ROOMの水曜日。クルエルレコードの滝見さんが回す日はよく行っていました。

その頃だった気がするけど、(時系列が曖昧)原宿に「NOWHERE」って店が出来るんですよ。
宝島のラストオージーって連載で知った気がする。
UNDER COVERとNIGOさんが買い付けてきたもののセレクトショップが合体した店。
大きな店ではないのですが、完全に半分に分けていました。
内装も含め雰囲気がカッコよかった。
内装が下地で使う木材が多く使われているんですよ。
実家が大工だったこともあり、「え! あの材料を表に出しちゃうの!」って
衝撃を受けました。で、その後に似たような内装の店がいっぱい出来るんだけど
「スノコショップ」って仲間内で呼んでいました。
あのお風呂とかで使うスノコです。

あとGOOD ENOUGHなんかも置いていた気がする。
GOOD ENOUGHのスタジャンが発売されたんだけど、とにかく凄い行列。
そんなもの買えるわけありません、というか行列する気持ちも理解できていなかった。

ちょっとしてから「NOWHERE」でバイトの募集をしていました。
当時のNOWHEREってとにかく怖かった。上野のマックスモーションで感じた感覚と一緒。
JONIOさんとかNIGOさんとかがお店の中の床に座っているんですよ。
あの狭い店に、いわゆるたむろしている。
当時はオイ!オイ!なんてガラが悪いんだ! だけどカッコよいなと思っていました。
で、もちろんバイト募集に履歴書を持っていきました。
持っていく時は、すげー緊張していた気がする。もちろん落ちました!!
あいかわらず、そういったものに弱い自分。

つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-23 16:37
2012年 02月 17日

専門学校

専門学校に通いながら吉野屋を1年くらいやっていたのかな。
とりあえず、学費はなんとかなりそうだったので、次のバイトを模索。
知り合いのツテでスタイリストのアシスタントを少しだけしたこともあった。
1ヶ月くらいで辞めたのか、仕事があまりなかったからか忘れたけど
たいして、その仕事はしなかったです。
それで、次にバイトしたのが渋谷にあるTOWAという生地の切り売り屋さん。
昔から生地が好きだったから勉強になるし、バイトをしていた。
美輪明宏さんとかも買いにきていた、高いスパンコールの生地とかを買っていました。
当時はなんとなく名前は知っていたけど、、、、程度の知識だった。
最近はメディアにいろいろ出ているので凄い人なんだな! って判りましたが。
ただ、バイトはかなりの重労働でした。生地ってマジで重いのよ。そして積んである奥の
生地を取り出すのがとにかく大変。泣きそうになりますね。
生地を安く買えたのはラッキーでした。

そんなこんなで、そのバイトも辞める訳ですがバンタン(専門学校)の中での
バイトの募集を発見してそちらで働くことになりました。
これは。けっこう良くて教務のアシスタントのバイトをすることになりました。
出席を取ったり、学校に来ない人に電話したり、生徒の課題を集めたり、窓口でシーチング
(仮縫いようやパターン用の生地)、定規、メジャーとかの学校で使う道具を
売ったりしていた。あんなに高校時代に遅刻していた自分が生徒の出席を取るという
行為には自分でも笑いました。さらに「学校に来いよ!なんで来ないの?」って電話する自分。
ありえないです。。。
で、このバイトを選んだ最大の理由は、学生がやっている課題を見れたり
(しかも生徒みんなのを見れるので勉強になる)、授業に少しだけ参加できたりすること。
あとは生徒とも仲良くなれたことも良かった。今も街で生徒と偶然に会ったりします。

とにかくいろいろと勉強になった。いろんな学科がありますから、デザイン科、スタイリスト科、
ヘアメイク科、ビジネス科ってところだった気がする。ちなみに僕はデザイン科の
教務のアシスタントをやっていました。

そんなバイトをしていたときに、よく通っていたのが広尾にあるFOB CORPというカフェ&雑貨
を扱うお店。ここには彼女が働いていたこともあって、とにかく毎日のように
バイト終わり、夜学終わりに通っていました。週に4回はお邪魔しにいっていたきがする。
まぁ、働いている女の子がみんなかわいい(笑)、そしてお洒落。
いわゆる当時でいうとこのオリーブ少女的なジャンルだと思うのですが、とにかく面白かった。
コーヒー飲んで本読んでスタッフと喋って、グダグダしていました。
雑貨も良い物がたくさんありました、当時は建築も大好きだったので雑貨を見ていても
面白かったですね。高い物もあれば、BIGのボールペンとかちょっとしたものも
置いてあっていろいろと見ていて面白かったですね。
雑貨や建築に関しては入り口はイームズ。そこから60年代のハーマン・ミラーのデザイナーを
中心にハマっていきました。
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、イサム・ノグチっていろいろな
建築家を好きになっていくのですが、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、イサム・ノグチこの三人は今でも好きな方々。まぁ、かなりのメジャーな方達なのでみなさん好きだと思います。

それと当時はいろいろなファッション誌や写真集を買ってはFOB CORPで読んでいた。
一番、好きな本屋は六本木のABC(青山ブックセンター)。WAVEに行ってABCに行く、
定番のコースです。基本は洋書ばかり買っていました、日本の本だとファッション通信、
ミスター、ハイ・ファッション、JAP(この本は結構衝撃だった、すべてローマ字で書いていたり
した。写真も良かったし、ただローマ字は読みづらかったけど衝撃でした)。
ABCって朝までやっていたんですよ、夜中に行っては夜な夜な立ち読みしていた。
当時のほうが本というかファッション誌は読んでいた。

あと好きだったのがFRRE PAPERのディクショナリー、今もありますがいろいろな人が
なにげない文章を書いていて、面白かった。今でいうところのブログ的な文章ですかね。
その中でとにかく印象に残っていたのがアンダーカバーのJONIOさんが書いていた
「パンクは自分の中での通過点に過ぎない。自分の中でのカッコ良い、カッコ悪いは
学生時代にともに過ごした何々君、何々君が原点です」(たしかこんな感じの文章だった
気がする、間違ってたらゴメンなさい)って言葉。

つづく、、、、。。。
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-17 16:41
2012年 02月 09日

文字だらけなので

たまにはビジュアルもアップします。
a0093022_2183775.jpg


これは学生の時に作ったもの。
いわゆるフエルト生地のジャケットなのですが、セディショナリーズのJKを
アンダーカバーのJONIOさんがアレンジしデザインしたもの。
本物より、こっちのデザインのほうが、今も好きかも。

で、どうして作ったかというと、まずアンダーカバーさんの洋服をもちろん
買ったのですが、どうしても黒も欲しくなってしまい。(当時は紫を買った、もしくは
紫しかお店に残っていなかった)
これだったら、俺にも作れると思ったわけです。(アンダーカバーさん御免なさい)

いわゆるフエルトなので縫製と始末が切りっぱなし、裏地もないので楽。
なによりもカッコイイ!(ここ重要)
で、買ったJKの半身をまずはバラバラにします。そして、それを型紙に置いて
パターンを引いて縫製すればOK!!
いまだに、たまに着ます。もう、かれこれ15年は経過しているかも。
で、最近まじまじと見て思ったのが、縫製うんぬんじゃなくてシルエットが
カッコイイ。。見た目はもちろんですが、、。(アンダーカバーさん、
もしこのブログを読む機会があったら復刻、もしくは新たなアレンジを
加えてリデザインしてください)。

a0093022_230832.jpg

で、これは最近ベルベルジンさんで買ったアナーキーシャツ。
ピンクのボディにとにかく引かれた。
もともと欲しいものだったけど、いわゆる若いときには高価なものだったので
買えませんでした。
当時の悔しさもあり、大人買い!!!

それと古着の鉄則、出会ったときに買え! あとで無くなってから後悔するぞ!
ある意味、一期一会だ!

また、来週!!
Have a nice day!!
See You!
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-09 02:35
2012年 02月 09日

高校卒業

卒業するときに考えたのが、ある程度の時間が守られてる仕事。
いわゆる公務員ってやつが的確なのかな。
五時、六時に終わって残りを自分の趣味に全力を尽くしながら生きるパターン。
または、趣味であるファッションを仕事にするパターン。。

まぁ、簡単なことで前者のほうが人間生活として、あまりストレスもなく正解な生き方だと思う。
9割がたの親御さんは、そんな悩んでいる子供を見たら
“絶対に止めろ! そんな甘い世界じゃないぞ!”と、絶対に言うと思う。

まぁ、もちろん僕も言われたのですが、そもそも公務員試験(郵便局だった気がする)にも
落ちたわけで、、、、。
そりゃ、いわゆる内申書が最低なわけで今考えれば誰でも解る。

まぁ、そんなこんなで家が自営業だったこともあり、しばらくは家でバイト。
それから吉野屋だから話しが、すこし前後している。ごめんなさい、って誰も気にしていないか。

そこからのバイトは怒濤の働きっぷり。週5の深夜。時給もたしか深夜時間帯だったので
(たしか24:00から05:00か06:00までが深夜割増)日給にして9000円は
もらっていた気がする。週5で23:00から朝の08:00、もちろん食事付き!!
週5で牛丼食べてました。いまだに牛丼は吉野屋が本当に一番好き。
どうでもいいけど、いわゆる隠語のオーダーっていうのかな。
つゆだく(これはわりとメジャー)、ネギ抜き(名前の通り)、頭軽め(ご飯少なめ)、
底ネギ(底に沈んだやわらかいネギを入れてもらう)、あとほぼ煮てないネギを入れてもらう
隠語もあったけど忘れた。築地店ではわりとメジャーらしい。。
今も使えるかどうか判らないので、くれぐれも吉野屋で“ハ!なんすか!それ!”って
言われないように注意。

で、バイトの話しは、まだ続くのですが週に二十日くらい入っているから
毎月20万近い金額を高卒のやつが手にするわけですよ、、、。
まぁ、学校に学費を払いながらも遊びますわな。実家暮らしだし。食費も吉野家さんだし。
(東京生まれというのは今考えても、とにかくラッキーだったのかも)
家賃かからんし、、本当にアホみたいに都内の家賃って高いですから。

ただ、昼間の専門学校ってけっこう高いんですよ。たしか三年間かな?
わりと曖昧だけど300万くらいした気がする。
これは20万稼いでいても無理だわ、、と思った。で、夜学を見つけた。
これはコース別なので、パターン、デザイン、マテリアル、縫製と分かれているから
1科目ごとに払えばいいんです。。1科目がたしか週二回か一回、、忘れた。。

まぁ、バイトしているから面倒くさくなって、たまにサボってしまうんですけどね。
そこにいた生徒さん達は、アパレルに転職したい人、すでにアパレルで働いているけど
さらにスキルをあげたい人。
まぁ、僕みたいな若造はいなかったけど皆さん社会生活をしてきた
大人な人たちだったので、ある意味では楽でしたし、すでにアパレルの人もいたので勉強になった。

つづく
[PR]

# by waste_twice | 2012-02-09 02:01