2012年 06月 01日
2012年 05月 22日
展示会でバタバタとしており更新が、またもや遅れました。すいません。 前回は初めての出勤までだったようです。 で、続き。展示会ということで展示会ネタ。。 基本的に僕は学生時代に勉強というものを視野に入れてなかった(笑)ので、 文章を書くということに、まったくもって長けていません。 (どうでもいいことですが、自分で書いていて(笑)といれるのは、そうとう恥ずかしい。) しかも、僕がライター件編集の仕事を初めたときは、まだ手書きで原稿を書くというのが 普通であって漢字もロクに書けない僕はいつも辞書をカバンに入れていました。 文字を書く仕事をしているにも関わらず漢字が書けないというのは、相当に恥ずかしいので、 外に出るときは小さいハンドサイズのものを持っていた。 今や化石的な機会となってしまったワープロというものはありましたが、新人は手書きが基本。 これには困った。作文的な作業なんて小中学校以来、しかも仕事として書くのだから 緊張というかやっていけるのか不安の方が大きかった。 といっても、アシスタントになっていきなり文章を書くこともなく最初の二ヶ月くらいは 雑務ばかりでした。デッツさんの車をちょいと運転したり。 実家の車は軽トラに2トントラック。ぶつけても気にしないけどデッツさんの車はベンツ!! 緊張しますがな。乗用車運転するの久しぶりだし。トラックは基本的にフロントがないから それに慣れていたから、人の車だしベンツだし乗用車だし。 その頃、デッツさんはいくつか連載をやっていてクールトランスでヒロシさんとやっていた 「スーパーナチュラルマガジン」、SOSでNIGOさんとやっていた「モンキー・ドゥ・モンキー・ドゥ」。ホットドックでやっていた「ストリートアイ」。 この連載で雑誌作りのおおまかな流れを勉強していました。 まずは企画、そして撮影のスケジュール合わせの段取り、実際の撮影、原稿作成、写真のセレクト、 誌面のレイアウト、印刷所に入校、色了のチェック、そして校了。。 まぁ、だいたいこんな流れです。企画から考えると日数で三週間くらいだったきがする。 もちろん、その間にいくつも仕事が重なっています。 それよりも、ヒロシさんやNIGOさんと話す機会もあって緊張していましたが。 そもそもデッツさんと話すにも緊張していた。今でも緊張しますが、、、、。 で、僕がアシスタントになってまだ二ヶ月か三ヶ月くらいの時にNIGOさんに 「APEの展示会を今度やるから川鍋君来てね」って言われたのは、今でもよく覚えています。 で、デッツさんがちょうど展示会場にいるときに、なんか物を持ってきてくれって言われ届けに いったのですが、その時に展示会を見させてもらいました。 そもそも展示会自体が初めてであって、よく分からん。で、紙を渡されて「なにか良い物があったら品番をそこに記入しといて」って言われました。 事前に商品をオーダーしとくシステムだというのを、その時に理解しました。 だけど、アシスタントの給料ではまず買えないでしょ! コレクションのラインナップがすべて揃っているし、商品の数は多いし、欲しいものは たくさんあるし、困った。 しかし誘っていただいたし欲しいものもあったし、ニットとショーツの品番を書いたのを 覚えています。商品の値段も書いてあるから、高いけどギリギリこれなら払えるかなと思い購入を決意。 たしか、その時がAPEが展示会という形式を取ったのが初めてだったらしいです。 今まで原宿のブランドの人達はひとつの商品ができたら写真なり絵型を送ってオーダーを 取っていたみたいです。 それを展示会という形式でやったのがAPEみたいです。今思うと凄いなと思います。 で、もうひとつ感動したのが、もちろん商品が事務所に届くわけですよ。 手元に商品があるのですがお金はどう払うの??と??マーク。 で、NIGOさんに会った時に聞いたら「お金は大丈夫だから、着てね!」って言われました。 今でもモヘアのニットは部屋のタンスにあるわけで、たまに着る訳で、、、、、、。 約14年くらい前の商品ですね。 そもそも、アシスタントになって二ヶ月くらいの若造に「着てね!」と言われたことに感動。 というかビックリ。なんか恐縮したのを覚えています。 当時のAPEは凄く売れていてお店には商品はほとんどなく、とにかく人気のブランドでした。 日本にストリートの洋服をブランド化したものは、ほとんどなく、その先駆け的存在。 アメカジの定番物が多く、定番物好きの僕としては欲しいものも多くあったブランドでした。 GOOD ENOUGHとAPE、UNDER COVEREが当時の原宿では人気のブランドでした。 今ではワールドワイドなブランドにまでなっているのも凄いです。 で、続く #
by waste_twice
| 2012-05-22 15:21
2012年 04月 12日
初めての出勤が文化社に集合だった気がする。 当時あったファッション誌asayanって雑誌の出版社です。 そこに行ったときに、たしかasayanが次にやる企画“キャノンボール”って アメリカをいろいろなお店の人だったりが渡米して、いろいろなものを 買ってくるって企画。今、考えても面白い企画だなって思います。 asyanって雑誌はテレビ東京でテリー伊藤さんがやっていたファッション系の番組から きています。たしか一号目の表紙は小泉今日子さんだった気がする。 で、話しは戻って、その企画会議に行った日に藤原ヒロシさんとか、ヒカルさんとか いわゆる原宿の人達が居てビックリしました。 雑誌でしか見ていなかった人達が居るってことで緊張したしビックリした。 特に昔から気になっていた藤原ヒロシさんが居たことにビックリしました。 まだ、アシスタントになる前にBRUTASって雑誌で 原宿の特集をやっていたのを今でも覚えています。 いわゆる裏原宿の特集。原宿村って例えていた気がする。 NOWHEREを中心にいろいろなお店が紹介されていました。 お店の内装をやっているM&Mだったり、ヨッピーさんのお店だったり AFFAのお店だったり藤原ヒロシさんやJONIOさんやNIGOさんなんかも 出ていました。ちょうど裏原宿が本当にブレイクしそうな時だった気がする。 つづく #
by waste_twice
| 2012-04-12 08:58
2012年 04月 12日
また、一ヶ月放置してしまいました。 で、つづき 結局、浅草の会社は断ってしまったんです。 まだ、デッツ松田さんのアシスタントになれるか分からないのに アシスタントというものに惹かれていました。 当時の原宿の人たちの僕の印象としては、洋服はもちろんなのですが そこに付随しているカルチャー的なものにも惹かれていました。 いろいろなジャンルの人が集まり原宿で遊んでいる。 例えばスケーター、バイカー、俳優、DJ、ミュージシャン、芸能人 とかいろいろな人達のコミューンって感じがしていました。 洋服だけではない、って感じがとても面白く魅力的でした。 それと、当時は日本でいわゆるストリートものをブランドとして展開している人達って 原宿にしかいなかった気がする。その昔にアイビーが流行ったときの感覚に近かったのかも しれません。僕はアイビーに関してはリアルタイムで経験していないので まったく分かりませんが、きっと近かったんだろうなと、思います。 で、いよいよ面接の時が来ました。場所は西麻布。。 呼ばれた時間の一時間くらい前に着いて近所をうろうろしていたのを 今でも覚えています。そこにうろうろしていた自分の目の前を偶然に デッツさんが通ったことも。 そして履歴書と一緒に送らなければならなかった課題が自分の好きな お店の説明文を250w(文字数)で書いてお店までのマップを 駅を入れて10sm×10smの中に書くってことだったと思う。 あと条件として要普通免許、都内の実家から通える人。 都内に実家があって本当にラッキーでした。 で、課題に関しては本当は1店でよいところを2店書いて、さらにお店の外観を 写真に撮って送りました。 そんな人は居なかったらしく、褒められたのを覚えています。 あと好きなファッション誌だったり、ブランドを聞かれたのかな。 とにかく一問一答に緊張していましたね。 雑誌はファッション系の洋書(IDとかDAZED、あとインテリア系のエルデコとか)だったり、 日本のファッション誌をよく読んでいたので、いろいろと答えた気がします。 そんなこんなで、電話が実家にかかってきて、何月何日から来てくださいと電話があった 気がします。そう、晴れてデッツ松田さんのアシスタントになったのです。 ここが自分の中での大きなターニングポイントだった気がする。 しかしクリエイティブアシスタントって何?? ってずっと思っていました。 なんとなく雑誌系の仕事なんだろうな、って思っていましたが、、、、、。 それと、良いなと考えていたことは、いろいろなブランドの洋服を見れること。 お金を払って勉強するより、給料が安くてもお金を貰って勉強できるんだから最高だな! って考えていました。 ただ、雑誌はよく読むけど、文章なんて書いたことなかったし、とにかく苦手なので 大丈夫かな?? なんとかなるのかな? って考えていました。 余談ですが面接に行った事務所がエンパイアスネークビルディングって会社で “いとうせいこう”さんがいる事務所だったって後で気づきました。 せいこうさんの小説で“ワールズエンドガーデン”ってタイトルのものがあって その小説はとにかく好きだったので、とにかく感動しました。 今でこそテレビの人ですが“いとうせいこう”さんって、 昔藤原ヒロシさんと一緒にラッパーとしても活躍していたり、その前は講談社の有名な 編集者でした。いわゆるサブカルチャーの人。 つづく #
by waste_twice
| 2012-04-12 08:36
2012年 02月 29日
バンタンでバイトを二年間くらいしていたのかな? その頃になると そろそろ、どこかに勤めないとな〜〜って考えていました。 調度、学生達が卒展をした後だから学生達と同じタイミングですね。 そういえば、学校の廊下に貼られているんですよ! ○○さん、どこどこ“内定決定!”って。 それを見ては“へ〜、凄いな!”って思っていました。 やはり、真面目な生徒から就職先が決まっていた気がする。 余談ですが、バンタンの教務アシスタント時代に“NOWHERE”に 履歴書を持っていって面談なく落選!! というか、郵便は受け付けていなかったので持っていった時に 雰囲気だったり、スタイルをチェックされているわけです。 なので、書類を持っていく時には、とにかく緊張しました。 で、あてもなく“どうしようかな〜”って考えていました。 レコード屋でバイトもいいな。どこかのカフェで働こうかな。 本屋もいいかな。あ!HMVでバイト募集している、どうしようかな。 って洋服とは関係ない分野の仕事も視野に入っていました。 そんなにツテもないし、どうしようかな?? って。 そんな時に学校の先生が就職先を紹介してくれたんですよ。 たしか、浅草の小物を作る会社。いわゆるブランドさんに頼まれたものを 作る会社です。そこでスキルを学んで、いろいろと幅を広げるのも ありかなと思い。就職活動用にマップ(流行りのスタイルをボードに まとめたもの)と、デザイン画を持っていっての面接! で、結果はというと“受かったのです!!” と、同時に雑誌で“デッツ松田、クリエイティブアシスタント募集。都内在中、要普通免許 自分の好きなお店の紹介文と、そのお店の地図を作成したもの”の記事を発見! え!そもそもクリエイティブアシスタントって何?? って疑問に思いながらも デッツさんって原宿の人だよな! 面白そうだな、そのアシスタント。 で、これに履歴書を送ったのです。書類審査は通ったのか面接の日程が決まりました。 ただ、ひとつ問題が発生! 浅草の会社に受かったのに断るのか?? せっかく先生が口を聞いてくれて紹介して くれた会社なのに!! まだ、アシスタントの仕事が決まっているわけでもないのに、その会社に勤めるのか! 勤めないのか!決めないといけなくなりました。 で、つづく #
by waste_twice
| 2012-02-29 22:51
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